のだめカンタービレ

 てんてけ、てけてけ、てんてんてん♪

 そのまんま「今日の料理」だったのかよ!たしかにこうして聞いてみると似てるわな(笑>ペトルーシュカと今日の料理
 『まるで最初からこんな曲があったかのように(#9巻)』と言う訳にはいかなかったようですが(笑
 漫画ではどうしても伝わらない所、それは音ですな。

 ドラマはほとんど漫画とセリフとかもいっしょで、多少アレンジはあるものの、原作を大事にしていて好感がもててます。ほかに、行間(コマ間?)を読め、という部分も、それなりに説明されていて、いい感じです。大事な所のセリフ+演技も心理描写というか解説?に一役かっていて、ドラマの解釈が解りやすくなっており、良いんじゃないでしょうか。

 年末で終了ということで、予想通り留学手前で終わると思われる訳ですが、まあ、フランスに行っちゃった後はドラマ化するのは大変だろうし、良いところで幕引きではないかと思います。

 さて、今日は前々から気になっていた、音楽とTRPGの話です。

 今日のドラマでもやってた、『自由にピアノを楽しく弾いて なにが悪いんですか!?』という所です。これに対する意見は『作曲者の意思は絶対だ』という所になると思います。
 これをTRPGに当てはめると「自由にロールプレイングゲームを遊んで何が悪いんですか」に対して「デザイナーの意思は絶対だ」という所になるのではないでしょうか。
 クトゥルフの呼び声でヨグ=ソトースをぶち倒すのも、D&Dで恋愛プレイを楽しむのも、可能ではあります。しかし、明らかにこれらのシステムはそのようにデザインされている訳ではありません。しかし、プレイ出来てしまいます。しかも、楽しい事もしばしばです。

 これは、TRPGというゲームの良く言えば自由度、悪く言えば不安定さのために発生する事象なのですが、音楽と比べて「これが正しい演奏」というのがあまりにもわかりにくいため、発生しやすいし「間違った遊び方をしてる」かもしれないと気がつかないのです。もちろん、いろいろなサプリメントやリプレイで「お手本」はなんとなく解るのですが、正直ぶっちゃけぶり=オレはこういうつもりでゲームデザインしたんだよ! というのが、が足りないという気もします。

 ああ、もちろん、サプリメントとはいえ「Book of Erotic Fantasy」は正しい遊び方じゃないと思いますよ、念のため(笑

 まあ、べとべんだって、もーつぁるとだって、「オレの曲はこう演奏しろやボケ」と事細かい指導書が残ってる訳ではない(と思います〜)ので、がいじゃっくすや、ぐれっぐすたふぉーどのプレイ指南があるわけではない(・・がいじゃっくすは書いてたな)。
 あまつさえ、クラシックでは楽譜通りかもしれませんが、それでも自由なパートはありますし、同じ音楽でもジャズとかだともっと演奏は自由です。これを考えると、TRPGにおいて、どこまでが「デザイナーの領分」でどこからが「プレイヤー(およびマスター)の領分」かわかりにくいのもしょうがないのかもしれません。


 ちなみに、りゅうくは「自由」派でも「絶対」派でもありません。さらに、どっちが正しいか、というのに答えを出す気もあまりありません。
 まあどっちかっていうと「自由」なのをついついやっちゃうんですけど

のだめカンタービレ(1) (講談社コミックスキス (368巻))

こんな感じで(^ε^

なんでキレてたら止めてくだちい(笑